福岡家庭裁判所 昭和52年(少ハ)3号 決定
少年 Y・A(昭三一・一一・一四生)
主文
本件申請を棄却する。
理由
(本件申請の要旨)
少年は、当院に入院以来一級上に進級するまでは反則行為もなく順調に進級し、各種の賞を授賞する等更生に意欲をみせ成績良好であつたところ、一級上に進級しておよそ一か月半を経過した昭和五二年七月中旬、上級生であることをかさにして、当院が特に力を注ぎその根絶を期してきた暴力教唆・悪ふざけ行為をなすに至つたもので、出院をおよそ一か月後に控えてこのような反則行為をなすに至つたことは、同人の自己統制力の欠如、目先の欲求や興味のままに場当り的な行動に走り易い安易な構えが基盤にあり、いまだ規範意識が希薄であることを示すもので、少年院送致の理由となつた恐喝事件と併せ考えると、少年の犯罪的傾向はまだ矯正されたとは認め難い。また、少年の帰住環境をみると、実母は既に家を出ており、実父と少年との関係は、入院以来の一〇数回に及ぶ面会により相当程度改善されたものの、相互不信はなお根深いものが残つており、福岡保護観察所も実父の消極的な引受意思と家庭環境等から受入れ不可である旨報告している。よつて、少年の生活観及び生活態度の変容を図り、社会復帰に対する充分な心構えを作らせるためには、なお三か月の収容継続が必要である。
(当裁判所の判断)
1 少年は、昭和五一年八月二四日恐喝保護事件により当福岡家庭裁判所において中等少年院送致の決定を受け、同月二七日福岡少年院に収容され、同五二年八月二三日をもつて少年院法一一条一項但書による収容期間が満了するものであるところ、少年は、知能は普通域にある(昭和五一年八月二日IQ=一〇一、同四七年一一月一五日IQ=一一一)が、性格的に自己統制力が弱く、気まぐれであり、また家庭内で実父母が不仲で葛藤が強かつたため(結局、少年は中学三年生時実母と生別している。)家庭内で放任されていたこともあつて、知的開発は不十分で思慮は浅く、目先の欲求や興味のおもむくままにその場限りの安易な行動に走り易い傾向があり、上記の恐喝事件も少年の粗暴的な性格といつたものに起因するものではなく、叙上のような少年のもつ性格・行動傾向に原因していることが窺える。
2 ところで、少年の福岡少年院での処遇経過をみると、少年は、入院当時は各種院内作業に対し消極的というより全くやる気をみせず、また他の院生とも交わろうとしなかつたために非行傾向がかなり進んだケースとして指導されていたようであるが、別紙処遇経過記載のとおり、少年は、入院以来反則行為を犯すこともなく各種の賞を授賞するなど順調に進級し、昭和五二年五月ころからは院内作業等にも積極的に取り組み自主的姿勢が見受けられるようになり、矯正教育の効果があがりつつあつたことが認められる。
ところが、少年は、本件申請の指摘するとおり、昭和五二年七月中旬出院をおよそ一か月後に控えて反則行為を犯すに至つたのであるが、その具体的内容は、少年が、(1)昭和五二年七月一五日の昼休み同室の下級生三人と対話中、A少年に対しB少年を「殴れ」と言つたこと(右「殴れ」と言う言葉も対話中何気なく出た言葉で本気で殴る意味ではなく、A少年も枕を手に取つてB少年の腹部と顔面に枕を当てる程度であつた。)、(2)同月一五日から同月一六日にかけてB少年に対し読後感想文の清書及び漢字の書取りを三ページさせたこと、(3)同月一六日昼休みB少年が洗濯に行きかけたとき少年のハンカチ及びパンツの洗濯を依頼したこと及び(4)同日夜間少年の言葉が契機となつて同室の少年らとお茶飲み競争をしたこと、というのである。
そして、上記反則行為により、少年は謹慎二〇日間(-60点)の院内処分を受け、同院の処遇基準に照らすと、少年が出院基準点に到達するには、なお最低三か月間の収容期間が必要であることが認められる。
なるほど、これまでの非行、生活態度等を反省し出院後に備うべき立場にある少年が、出院をおよそ一か月後に控えて上記のごとき反則行為を犯すに至つたについては、軽卒のそしりを免れることはできないし、また出院基準点が院内での矯正教育の効果を示す一応の目安となることも、もとより否定するところではない。
しかしながら、上記反則行為のうち(1)及び(4)は児戯的なものであり、(2)及び(3)は少年の安易な行動傾向の一側面を示しているものとも言えないではないが、少年が、下級生時代に先輩が同種の反則行為を犯していることを見ていること、その他諸般の事情に照らすとき、それが少年のもつ犯罪的傾向の背後にある上記一記載の性格、行動傾向と深く結びついたものと言えるかは極めて疑問であり、したがつて、上記反則行為をもつて少年の虞犯性の徴憑として収容継続を認めることは相当でなく、また少年の叙上の処遇経過及び上記反則行為を反省し更生に意欲を示している少年の現在の心環等に照らすとき、少年をなお継続して収容すべき具体的理由は認め難い(少年の帰住環境については後述のとおりである。)。
なお、付言するに、本件申請は、少年と同じ寮に収容中の他院生八名も新入生に対し同種の反則行為を犯していることから、これら他院生との処遇上の均衡という側面からもなされたことが認められるが、少年院における処遇上の例外であり且つ個別的に退院後の虞犯性を考慮してなさるべき収容継続を、このような観点から考察することは背理であるといわなければならない。
3 そこで、更に少年の帰住環境をみるに、本件申請の指摘するとおり、少年の在院中に二〇数回面接に訪れた実父の厳格、短気で且つ頑固な性格及び面接場面での実父に対する少年の態度等から少年と実父との間の相互不信感なるものを感じたであろうことは当審判廷における実父及び少年の対人態度から推測に難くない。
しかしながら、少年に対する調査記録を精査するとき、少年が福岡少年院に送致されるに至つた時点までは、少なくとも少年に関する限り実父に対して親和性を欠いていたことは認められず、むしろ依存的でさえあつたことが認められるのであつて、叙上の相互不信感なるものは、実父及び少年の性格及び対人態度そのものの感じさせるところとも思料されるのであつて、両者の間にそれほど根深い不信感があるとは思われない。
仮に、両者の間に根深い不信感があつたとしても、本件申請時と異り、現在では、実父は少年を自分の勤める会社に就職させる見通しを得るにまで至つており、少年もそれを強く希望していることが認められるところであつて、本件申請時後の保護観察所の報告書も同趣旨のことを記している。
4 してみると、少年の上記1記載の性格及び行動傾向が十分矯正されるにまで至つているとは認め難いところではあるが、性格、行動傾向は短期間で矯正させることは困難であること、叙上の少年の更生への意欲、帰住環境等に照らすと、少年を社会に復帰させ、自立更生への道を歩ませることが相当であると思料される。
よつて、本件申請を棄却することとし、本文のとおり決定する。
(裁判官 萱嶋正之)
別紙
処遇経過
昭和五一年八月二七日
福岡少年院入院 考査編入 二級下編入
九月一〇日
考査終了 予科編入
一〇月一日
農耕科編入
一〇月三〇日
収容継続(少年院法一一条一項但書)
一一月一日
二級上 進級
昭和五二年二月一日
一級下 進級
四月一日
精勤賞受賞
五月一日
生活賞・実科賞受賞
六月一日
一級上 進級
七月一日
文化賞受賞